僕の体が、頭がいうことをきかなくなったのは突然の朝だった。
いつもの習慣はちょっと薄めのブラックコーヒーを煎れて煙草をふかすことだ。
しかしあの朝に限って体がいうことをきかない。
というよりその前に脳がそれを拒否しているかのようだった。
天井を見上げたまま体を起こそうとしない。
いや厳密に言うならば起こすことができないのだ。
何も考えられないことを考えていた。
考えることがそれしかなかったのだ。
どうして僕は天井をただ見つめているんだろう。
会社に遅刻することなど到底忘れていた。
いつもの自分の部屋がどこかはじめて過ごした知らない部屋のようだった。
部屋が暑くて汗が噴き出す。
喉が渇いたような気がする。
けれど動けないのだ。
ずっと天井をただ見つめていた。
時には一点を。
そう視界さえも思うように運動させることが出来ない。
僕は電池が切れた人形のように静止していた。
変だった。
考えることは出来ないのに子供の頃を思い出していた。
建設中の家から木材を盗み僕達は旅に出た。
名もない森に名前をつけた。
いつもが必至でいつもが冒険でいつも楽しかった。
あの田舎なのに自然も大して美しくない地元がなんだかんだ好きだった。
彼らは今、どうしてるんだろう。
僕は今、天井をただひたすら見つめている。
天井の染みが気になり、やがてその一点を見つめるようになった。
その染みの模様がなにかに似ているような気がしたけれど僕はまた眠りについてしまった。
後日、僕は会社を首になった。
相変わらず、あの日を境に行動力が急激に落ちた。
食欲もなく、外はまぶしいので夜の小道を彷徨ったりもした。
そして疲れたら地べたに寝そべって耳を傾け地底人が居ないか確かめたりもした。
僕はついに歩けなくなって母親に連れ戻された。
そしてそこではじめて僕はメンタルヘルスが侵されていると診断されたのだ。
僕は至って普通の、いや、やや優性の人生を歩んできたといえる。
スポーツは万能であったし、成績もいいほうだった。
恋人を切らしたことはなかったし経済力も豊かなほうであった。
ただひとつ、僕は一方でいつも常になにかの虚無感を感じていた。
目に見えないことを感じるということがどれほど恐ろしいことだろうか。
幽霊なんて信じたことはなかったけれど今なら信じられるかもしれない。
だって僕は今、確かに自分の足で歩くことさえ出来ないのだから。
この足で横浜のヘルスへ行った頃が遠い昔のようだ。
神様が居ればいいと思う。
そしたら僕は生まれ変わってもっとまっすぐに景色を臨める人間になれるだろうと。
思えば小さなことに感動していたのは子供の時だけだった。
何をしても感動はしなくなったしいわばそれが不感症の一部のようでもあった。
けれど悪いことも、よいことも起こらないようなそんな生活。
母親は老けこんでしまった。
それだけが事実である。
僕はもう数年、自分の顔を見ていない。